再び福祉と経済の関係について

飯田泰之×宮崎哲弥 トークセッションに行ってきた 鄙/Hina blog
http://since20080225.blogspot.com/2011/01/blog-post.html

(質問者B)三点ほどよろしいでしょうか。一点目は先日菅総理が成長戦略として第三の道を提唱しました。それは福祉を産業として育てようというものでした。福祉関連の仕組みは非常に効率が悪いのが現状ですが、果たして福祉というのは経済を引っ張るような成長産業になるのか疑問を感じるのですが、どうお考えでしょうか?

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(飯田)まず管さんの福祉の話はまったく仰るとおりでして、福祉という産業が日本経済の為になるということは、介護であるとか福祉サービスを受ける側が喜んでお金を払う、そういう状態になるということです。ところが、次のご質問にも繋がりますが、実際には法律でがんじがらめになっているために非常に典型的なサービスしか行えない。福祉は個別性が大変強い産業ですから、自由なサービス業として育てていくならば、成長産業になっていくことは可能だと思いますが、現在のように規制されたシステムのままで大きくしていこうと思ったら結局補助金を出すしかないでしょう。補助金を効率よく配るなんてことが出来るとは僕は思いませんので、管さんの政策の実現は非常に厳しいと思います。

 この部分に反応してしまったので、これネタとして再び福祉と経済の関係について。

 菅政権を筆頭に、社会保障が経済成長に寄与するという人は少なくないが、これには二つの意味がある。

 一つは、医療や介護といった事業そのものが高い付加価値と生産性を生み出すことになるというものである。そしてもう一つは、福祉の充実が人々に社会的な安心を与え、消費や投資への積極的な行動を促進するというものである。菅首相や与謝野氏の発言には、両方の言い方がしばしば混じっている。

 福祉を「成長産業」にしようという前者の考え方は、個人的には全くのナンセンスだと考えている。飯田氏なども批判しているように、成長産業にするには価格を自由化し、サービスに対して可能な限り高い価格がつくようになることが前提条件だが、福祉というのは全国民が経済力に関わらず必要に応じて低価格で平等にサービスを受けることができなければならない。だから、そもそも「成長産業」になるのは難しいという以前に、政治の基本的な倫理として福祉は「成長産業」にしては絶対にならないのである。
 飯田氏の言い方は、ややもすると価格規制を廃止すべきだと言っているように聞こえるが、医療や介護が市場価格に応じて高額化してサービスを受けられない人が増えれば、また人々の間に「市場原理主義」批判のようなルサンチマンを増殖させるだけだろう。

 福祉が消費や投資を下支えするという後者の考えについて言うと、微妙だけども7割ぐらいは受け入れてもいいかな、とは考えている。10割ではないのは、そもそも消費や投資の促進に福祉が責任を持っているわけではないからであるが、消費や投資の促進にプラスの効果があることは(大したことがないとしても)普通に理解できるので、そういう言い方自体は政治的なパフォーマンスとしてはありかなとは思っている。

 ただ真実を言えば、後者もやはり根本においては大きな問題をはらんでると考える。ナショナル・ミニマムの保障というのは、たとえ経済を停滞させようとも、無条件に行われなければならない。寝たきりの障害者や限界集落に住む独居老人のような、働くことも、投資や消費の意欲も能力も奪われている人*1に対する福祉サービスが、経済にとってプラスではないことはあまりに自明のことである。そういう人を平然と見捨てる社会が「豊かな社会」であるわけがない以上、少々経済の効率性を傷つけてでも、きちんと再分配が行われる必要がある。社会保障が消費や投資を促進するというのは、その可能性は否定しないし、政治のレトリックとしては許容できるとしても、それを「真実」にしてはならないと思う。

 何度も書いていたが、経済成長と福祉を一つの論理で両立させるような考え方は、基本的に断念すべきだというのが自分の立場である。というか、そういう地点から出発しないと、政府の規制を取っ払って市場に任せたほうが社会保障も充実するとか、これからの経済は「成長」を断念して「循環」「共生」で行くべきだとか、そういう議論が横行して経済学と社会保障の議論とかますます分裂するという悪循環から抜け出すことができなくなる。

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 ちなみに本筋からは外れるが、上の対談の日銀批判については、今までのなかで一番納得できた。飯田氏と自分とは基本的な政治スタンスや価値観が正反対だと思うのだが、やはり批判に対する学習能力があるだ人だとあらためて思った。

*1:「草食系」と呼ばれる五体満足の若い世代も、広い意味でこれに入ると考えるべきだと思う。