前回の追記

 前回の追記として書いたが、長くなったので分割。

 まさか誤解している人はいないと思うが、一応ことわっておくと、自分は経済成長と社会保障政策が両立しないなどと言っているわけではなく、むしろその両立可能性を真剣に考えるためには、両者が別々の原理によって成り立っているということを出発点にしなければいけない、ということである。例えば社会保障論の立場からしても、中途半端に福祉に配慮した経済学を構想するよりも、たとえ自殺者や貧困者を増やすことになっても、社会全体の富を増やしたり生産性を高めたりするような割り切った経済理論を構築してもらったほうが、はるかに有益なのである。むしろ、福祉を経済学的に正当化しようとする変に真面目な人のほうが、妙な善意や正義感で社会保障の専門家の議論を否定するような主張をするので、かえって性質が悪いというか危険だと思っている*1

 だから、社会保障が経済成長に寄与すると考えているかどうかといえば、基本的に寄与すると考えている。需要の喚起、社会的安心による経済の安定、高生産部門へのスムーズな労働力の移動など、プラス要素はいくらでも思いつくことはできる。福祉国家論の古典では、むしろそのことは常識に属することだったし、自分からすると「スウェーデン・モデル」と言うのも、その基本部分は決して新しいものではなく、あくまで古典的な福祉国家の延長線上にある。

 ただ、自分はそういう素朴な両立関係というよりも、教育や福祉など、人間の基本的生存に関わる、付加価値を高めにくい、あるいは付加価値を高めて価格を上昇させるとサービスを受けられない人を大量に生みだしてしまうような分野は、税と社会保険を通じた政府の社会保障に委ねて役割分担したほうが、市場経済の効率性もより高まるだろうという理由に基づくものである。

 いわゆる「貧困ビジネス」問題というのは*2、そもそも高い付加価値がつけられないよう分野を市場に委ねていることが、基本的な問題だと考えている。貧しい人を顧客にしているので大した利益が上がらないし、その中で競争をするとますます利益が下がって従業員の給与も下がり、かといって高い価格をつけるとサービスを受けられない人が激増する。そして、普通の良心を持ち合わせている人であれば、そうした風景を見て「市場原理は暴力的だ」と考えるようになり、市場経済そのものに対する不信感を募らせることになる。

 この問題を解決するには単純に、貧しい人へのサービスは税金を投入して「政府とNPOの仕事」にすればいいと思うのであるが、なんか妙に真面目で頭の固い経済学者ほど、「貧困ビジネス」を規制するよりも、直接貧しい人にお金を渡して市場経済を阻害しないほうがいい、などと主張する。まさに、お金を渡されている生活保護受給者が「貧困ビジネス」の罠にはまっている現実を知らないわけではないと思うのだが・・・。経済学者は、経済学ができることが限定的であることを常々断っているのだが、表面的な言説を見る限りはそう思っているようには見えないことが非常に多い。

 今の日本では「大きな政府」にしたほうが市場の効率性や信頼性が高まるというのは、ここで何度も繰り返し言っているし、別に当たり前のことだと思っているのだが、なぜかあまり理解されないというか、反応や評判が非常に悪い傾向がある。


(また追記かと言われそうだが・・・)

 市場経済というのは基本的に、労働者の賃金ができるだけ下がるように(同じ生産性なら安い賃金で働くほうを雇う)、そして物価が上がるように(商品やサービスをできるだけ高いカネを出すほうに売る)圧力がかかるように出来ているわけで
、そこで生じている「負担」(労力に見合った賃金が支払われない、日用品に不当に高い値段が付いている)を緩和するために、経済活動に税をかけて再分配を行うわけだが、だから市場経済が発達しているのに高い税金で再分配しない社会というのは、景気の良しあしにかかわらず、ものすごく個々人の負担が高い社会にならざるを得ないと普通に考えられる。

 やはり金融政策でインフレを起こすことも否定しないけど*3、税を通じた社会保障の充実のほうが優先順位が高い、というのがやはり中途半端な自分の立場という感じである。消費税増税を懸命にダメ出ししている金融政策論者は、それがマクロな経済に深刻なダメージを与えるというのだが、税というのはあくまでミクロな分配の手段であって、そういう言い方は増税で需要をつくってデフレを解消しようという、彼らが批判している小野善康氏と同じ間違いを犯しているように感じる。

(追記というか謝罪)

 どうも線ひいた部分は、考えてみるとなんか怪しい理解な感じなので取り消しました。素人が中途半端な経済論をやるべきじゃないですね。

*1:もちろんスティグリッツのような尊敬に値する人もいる

*2:あらためて「貧困ビジネス」と言われることが少なくなったくらい定着してしまっているが。

*3:「賛成」とはっきり書けないのは、やはり経済学は素人だから。というか素人勉強で、ある特定の経済学説に一方的に肩入れしている人たちを見ると「痛い」ものを感じるので、そう見られたくないというのがある。