適切な政治的争点の設定

 テレビやネット上の議論を見ていると、消費税を上げるかどうかで熱くなっている人が多いのだが、やはりつくづく不毛であるように感じる。まず、大きな対立軸として緊縮財政路線か需要創出路線かという対立軸があり(社会保障論は当然後者の路線)、消費税というのはそのサブテーマ、それも専門家だけが十全に扱える専門的なテーマなのだけれど、今の日本ではこのサブテーマが前面に出て政治の対立軸がますます混乱している状況にある。

 自分は、政治がきちんとするかどうかの鍵は、適切な政治的争点の設定だと思っているが、55年体制の崩壊以降、この争点が適切に設定されてこなかった。一言で言うと、民主党を中心とする野党が攻撃する対象が「執政政党」としての自民党だったので、政策理念や価値観の違いではなく、「族議員」「政官癒着」「官僚主導」といったような、政治運営の仕組みややり方そのものを攻撃する方向に争点が特化されてしまった。「天下り」問題というのもその一つである。消費税増税が過剰に争点化されてきたのも、それを通じて行われる政策目的に対してではなく、執政政党たる自民党の経済財政運営の「うまさ」「まずさ」が政治上の争点になってきたためと理解される。

 こうして、自民党民主党の内部にある深刻な路線対立が放置され、「執政政党」として振舞う自民党と、それを「官僚主導」などと批判する民主党などの野党という形で、55年体制以降の政治が争点化されてしまった。結果として民主党は、制度や政策の持つ歴史的蓄積を無視して、いかにも「脱官僚」に見えるような、理路整然と見える「改革案」や「マニフェスト」を並べてしまい、そして政権獲得後は、それが実現できないことの言い訳や後始末しかやっていないと言っても過言ではない状態にある。今それを「官僚主導に戻った」と激しく攻撃している政治勢力があるけれど、自分からすれば、こういう勢力こそが「55年体制の遺物」であるとしか言いようがないと思う。

 今から考えるとだが、2005年の「郵政解散選挙」は、政策理念上の対立軸を明確化するという点では必ずしも悪くはなかった。この選挙では、教育や福祉にまで民営化が進むと給付に格差が生じてよくないと考えるか、福祉などもできるだけ市場価格で配分して、そこで生じる格差も積極的に引き受けるべきと考えるか、という社会哲学的な対立軸にそって政界が再編される可能性があった。そうはならなかった理由の一つには、民営化論者自体が、財政投融資のような「政官癒着」問題や郵便局員の高待遇を前面に出して、こうした対立軸を正直に提示しなかったことがある。有権者は民営化の根本にある政策理念に共感して支持したわけでは全くなかったので、結果として民営化の当然の帰結である「かんぽの宿」売却問題では、民営化を支持した同じ世論から激しいバッシングを浴びることになった。

 いずれにしても、政治経済を議論する人は緊縮財政路線か需要創出路線かという対立軸をもっと前面に出して、消費税の問題はとりあえず脇に置いておくことを求めたいと思う。それに最近の消費税反対論は、どうも実証的にも論理的にも首をかしげざるを得ないもの多いが(一部の財政再建主義的増税論者がひどいというものがあるが)、そもそもそういう問題に無駄な労力を費すべきではないと考える。