再分配が伴わない増税は避けるべき

 「復興財源」に関する議論が盛んだが、消費税増税でまかなうという方法には基本的に反対である。

 税はあくまで、治安や教育・社会保障など、市場では効率的に資源が分配することが困難な、特に恒久的な財源を必要とする分野への再分配の手段である。市場と政府のいずれが資源配分を担ったほうが人々の負担がより減るのか、という選択肢の中ではじめて増税という手段がでてくる。だから、そういう選択肢が立つ以前の段階の、しかも今回のような緊急的な(といっても長期的だが)、被災した人の生活支援やインフラの復旧といった目的には、やはり消費税増税はそぐわないと考える。

 もともと消費税という税制のよさというのは、効率的で安定的に徴収できるという以上に、低所得者年金生活者も少しづつ(そして所得に比べればやや過分の)負担に応じているという事実が、分配の対象を「恵まれない人」に限定しないような、普遍的な社会保障制度の基礎になることにある。だから、被災者支援のように分配の対象が明らかに「恵まれない人」に限定されている場合、消費税は適切な手段ではない。

 反対する人は、「被災地の人たちを直撃する」と情に訴えた言い方をするが、むしろ問題は被災していない地域の経済に打撃を与える可能性である。そもそも消費する能力を奪われているくらいひどい状態の被災者は税負担すらできないし、消費する余裕が少しでもある被災者も最低限税負担に応じた分配を受けられる可能性が高いが、被災していない地域では税負担に応じた再分配が全く施されないので、そのまま経済を直撃してしまう可能性が高い。いずれにしても、再分配が伴わない増税は可能な限り避けるべきであると思う。

 消費税増税か日銀による国債引受けかという、極端な二項対立にもっていこうとしている人もいるが、もう少し現実的で多くの人が納得するような案を出してきて欲しいと思う。後者の意見については、個人的にはとても魅力的に思われるが、経済や財政の専門家の多数は明確に反対しており(ゆえにその実現に固執すると単に政治的混乱を招いて震災復興の足を引っ張る可能性が高い)、また批判に対する十分な応答もなされていないように感じる。

(追記)

 断っておくと、普遍的な社会保障のための増税は「当たり前」で「すぐにでもやるべき」だと思っている(今はまだ社会保障の議論そのものをすべき段階ではないが)。そしてその手段が消費税ではダメな理由も、基本的にはないと考える。今復興財源の増税を否定している人の多くは、「税の社会保障の一体改革」における増税論議も全否定していたが、これは全面的に間違っていると考える。

 自分からすると、復興財源のためとして増税に一生懸命な人と、社会保障財源の増税をも否定する人とは、同じ穴のムジナにしか見えない。とくに両者に共通する、「増税しないと財政破綻」「増税すると大不況到来」という、終末論的な語り口はどうにかならないものかと思う。


(追記ばかりで恐縮)

 断わっておくと、これは消費税以外の現実的に取りうる手段が尽きていないということを前提にした反対論であって、今はなお原則論にこだわるべきでない緊急時であることもあり、もし手段が尽きてしまったらその限りでは全くない*1

 さらに言えば、自分は経済にダメージを与えるという理由で消費税増税に反対しているのではない。というのは、被災者支援と被災地復興を強力に推し進める最も効果的かつ現実的な政策を採用するということが最優先で、その政策自体が少々経済にダメージを与える性質のものであったとしても、やはり採用されるべきだからである。もし景気の問題を考えるのであれば、別に経済の活力を与えるような方法を提案すべきである。震災復興の問題で、まず経済や財政の論理を出発点にして話をする人がいるが*2、やはりそれは根本的に間違っていると考える。

 それにしても、世の中にはもっと憤るべき悲惨な現実があるのに、「消費税」というニュース(ほとんどの場合はそういう話が会議で出たというだけの)が流れただけで瞬時に激怒してツイッターなどで罵詈雑言を書き連ねる人たちの議論は、さすがにもう真面目に聞くに値しないという感じがする。日銀の国債引き受けという考え方に魅力を感じる自分ですらそうだから、そもそもこれを「禁じ手」と思っている人はなおさらだろう。

*1:もちろん、自分はいろんな専門家の意見を眺めても、全く尽きていないと理解している。ただ日銀の国債引き受けに関しては、専門家の間の合意が明らかに難しそうなので、一方的な口調で与謝野馨財務省を批判するのではなく、現実的な落とし所を考えるべきだろう。

*2:専門家は職業病で仕方ないにしても(ある意味で悪いことではない)、ツイッターでくだを巻いている素人までが付き合う必要はない。