確率論に迷い込む前に

@HeizoTakenaka
竹中平蔵

30年で大地震の確率は87%・・浜岡停止の最大の理由だ。確率計算のプロセスは不明だが、あえて単純計算すると、この1年で起こる確率は2.9%、この一カ月の確率は0.2%だ。原発停止の様々な社会経済的コストを試算するために1カ月かけても、その間に地震が起こる確率は極めて低いはずだ。

http://twitter.com/#!/HeizoTakenaka/status/67726323170283520


 竹中氏のこのつぶやきをめぐって、何だか「確率論的におかしい」と「確率論的には間違っていない」の対立になっているのだが、それ以前の問題として、この発言は明らかに不適切だろう。このことを誰も指摘せず、竹中氏の「確率的にはリスクは低いのだから拙速に原発を止めずに経済合理性を計算すべき」という、政策論的主張そのものが見事なまでにスルーされているのが不思議である。むしろ「確率論的には特に間違っていない」という、竹中氏にとっては実はどうでもいい擁護論が増えている*1

 そもそも福島第一原発事故で、それまでの専門家による安全審査の確率論を否定する「想定外の事態」が次々と起こっている。むしろ確率論的には「想定外」のことが起こる、というのが原発事故だとすら言えそうである。この状況を目の前にして、これだけの低い確率だから「まだ安全で余裕がある」かのような考え方を平然と語れる時点で、根本的に間違っているとしか言いようがない。批判している人も確率論に迷い込む前に、この常識的なレベルで十分批判可能なはずである。

 そもそも素人目に見ても、地震原子力についてはまだ未知の領域、人間の技術ではコントロールできていない領域が非常に多い。昔は活断層が知られていなかったように、東海地震が30年間で87%というのも、その未知の領域がないことを前提にした、あくまでとりえずの仮定の数字であろう。この数字が出しているメッセージは、浜岡原発が巨大地震が起きやすい地盤の上にあり、いつ起こってもおかしくない危険な状態である、という以上のものではない。というか、多くの人々は常識的にその程度に受け取っているし、またそう受け取るべきである。

 だから、1か月で0.3%以下だという確率をはじき出し、そこから「まだ安全」であるかのように解釈して、それを前提に政策論を組み立てる思考法は、実に無邪気で危険としか言いようがない。もっと正直に、「やたらに原発を止めれば放射線被曝のまえに経済の停滞で国民が殺される」とはっきり言うべきだろう。


(追記)

 お前は原発政策をどうすべきだと思っているのかと言われれば、日和見と言われそうだが「わからない」と答えるしかない。菅首相の決断を熱烈に支持している、というわけでもない。ただ竹中氏の「確率的には低いからまだ安全」であるかのような言い方が、途方もなく間違っているということを言いたいのである。そして、この間違いに乗っかって確率論論争に興じている人も、やはりその間違いに輪をかけているようにしか見えない。

 反原発学者の小出裕章氏は、人間的には立派な人だと思うし、その基本的な理念は共感する部分も多いが、原発を即時にすべて止めるべしとか、エネルギーを使わない生活にシフトすべきとか、そういう主張についてはやはり承服しかねるところもある。

 ただそれ以上に、現状原発がないと経済が回らないという妙な現実主義を振りかざす人には、強い違和感を抱いている。現実は簡単に変わると言っているのではなく、自分が「現実」をトータルに知っているかのような、その口ぶりがひっかかるのである。頭がよさそうな振りをしたがる知的顕示欲の強い人というのは、いつの時代でもいるわけだけど、かつては理想や理念を語ったものだが、最近は逆で、やたらに「現実はこうなんだから」という話をしたがる(そして「現実を分かっていないあいつはバカだよなあ」というコミュニケーションで盛り上がる)傾向がある。


(愚痴)

 こういうエントリを書くと、何だか統計や確率を軽視している、みたいな批判が必ず来て本当にうんざりしてしまう。竹中氏の確率論が間違っているというのではなくて(それ自体は擁護論の人のほうがたぶん正しいと思う)、使い方が根本的に間違っている、確率論の能力を超えた問題まで確率で論じようとするべきじゃない、という話でしかないのだけど。

 言うまでもなく、自分が統計や確率を軽視したことなど一瞬たりともないし*2、統計や確率がある特定の観点に従って複雑な現実を整理・単純化したものにすぎないということを本当の意味で理解していれば、こんな批判が書けるわけがないのだが。

 自分はごくごく当たり前のことを言っているつもりなのだが、なにか確率論否定に見えるのだろうか。それとも自分の書き方がまずいのだろうか。

(愚痴2)

 追記に追記を重ねるのは本当に自分の悪い癖だが、上の追記を書いた後でも自分の文章が統計や確率論よりも「直観」や「常識」が大事であるかのように読まれていて、さすがにこれには頭を抱えた。やはり、どこかで確率論を否定するようなことを言ってしまっているのかもしれないと思う。

 当たり前だけど、近代国家は統計や確率論がなければ、政治家や官僚は何も決められないし、そうした数字を無視した政策論など絶対にあってはならない。実際、「30年で87%」が今回の決断に影響したわけである。この数値は、「原発を置くのはリスクが高すぎる」と捉えるのがやはり当り前の判断であり、実際地震学者もそうしたものとして提示している。

 竹中氏のように、1か月単位で割ってリスクを小さく見せかけるのは、地震の起こるメカニズムがロシアンルーレットのようなものだという仮定を置いて、かろうじて許せる論法だろう。実際はこんな仮定に意味がないというのは、計算する前に気づかなければいけない。確率論が踏み込めない世界にまで、現実的に無理な過程をおいて確率論で自説を正当化しようとするのはナンセンスということ。


(まとめ)

 「何を言っているのか分からない」という指摘があって、読み返して確かにそうだと思って、まとめ直しました。

(1)そもそも竹中氏のつぶやきは、確率論以前の、「原発事故リスクよりも経済停滞リスクを重視すべき」というエコノミスト的立場からの主観的主張に過ぎないのに、それを大雑把な確率論で糊塗するべきではないということ。竹中氏は確率を緻密に計算した結果の上で結論を出しているわけでは全くなく、最初から「結論ありき」で、その正当化のために確率論を利用していることは明らかである。

(2)地震のメカニズムがロシアンルーレットのように起こると仮定すれば、竹中氏の計算も確かに一理あるが、そうした仮定自体がおよそ適切ではないということ(もし地震学者がそういう仮定で地震を理解しているというのなら訂正するが)。それに、もしロシアンルーレットだとして、適切な例えではないかもしれないが、まず考えるべきは拳銃から弾を抜くこと(つまりリスクの高い原発を止めること)であって、「0.2%なんだから大丈夫!引き金をひけ!」ではないだろう。また竹中氏の計算法だと、時間が経つほどリスクが上がるのだから、リスクが上がらないうちに早めに止めたほうが合理的だという結論にもなる。

(3)原発停止の判断根拠は、「近い将来に巨大地震による事故が起こる蓋然性が極めて高い」ということが、専門家の知見で言えれば十分である。そういう蓋然性やリスクを判断する材料として、当然ながら専門家による確率論的な計算は絶対に不可欠であるが、ここで言っているのは、地震原発のように科学技術的に不確定要素が多く事故リスクが巨大なものについて、今月は0.2%だからまだ大丈夫だ(あるいは20%になったからもうヤバくなった)、といったような議論が根本的に不毛で危険であるということ。巨大地震が起こる確率の計算技術を、降水確率程度の正確さを出すまでに到達させるには、まだまだ膨大な年月がかかることだろう。小出氏も言うように、原子力のような高リスクの技術については、「安全余裕」は確率論からすれば過剰反応と思えるぐらいに取っておくべきだというのが、今回の原発事故であらためて明らかになった科学技術の鉄則だろう。

*1:どうでもよくなければこんな雑な計算をツイッタ―に書き込んで満足せず、最初から自分で緻密に計算して提示するはずだろう。

*2:ただ他の人と異なるのは、今までの通念的理解と統計が食い違っていた場合、他の人は今までの通念的理解を全否定する側に回るのだが、自分はそういう通念的理解が広まっているのも、何かしらの根拠があるのだろうと考える点にある。ほかの人から見ると、そういう思考様式自体が「統計の否定」に見えるのだろうか。