民主党政権が混迷している原因

 「ポスト菅」が誰になるのかという以前に、政局のニュースはもう聴きたくもないという人は少なくないと思う。とりわけ、「被災地の復興」の健気な姿の報道とのコントラストで、政治の混迷ぶりが余計に際立つ結果になっている。日本はどうしてこんなにも政治が混迷しているのか、(これをネタに飯を食っている一部の政治評論家を除けば)政治家自身も国民世論も全く訳がわからず、途方に暮れている状態にあると言っていい。

 民主党政権が混迷している原因はいろいろあるが、その根本をたどれば2009年の総選挙における、「脱官僚で16.8兆円を捻出」という非現実的な財政マニフェストにある。自民党から「バラマキ4K」などと批判されている政策も、「無駄削減で16兆捻出」を前提にしていた以上、その行き詰まりは当然過ぎる帰結である*1菅首相が急激に「財政再建」と増税論に舵を切り始めたのも、結局のところ「脱官僚による無駄削減で16.8兆捻出」が破綻したことに原因がある。この「転向」自体は間違いではないとしても、政権与党内の亀裂を深め、世論の「こんなはずじゃなかったのに」という政治への不信感を一層強め、内閣支持率の低下によって絶望的なまでの政局の混乱を招いている。

 「脱官僚による無駄削減で16.8兆捻出」などというのは、選挙前から財政や社会保障の専門家からは支持されてなかったし、また短期間における予算の急激な削減や組み換えは、社会の混乱を引き起こす可能性があるという点からも、決して好ましいものではない。その上、予算というものが指導者の独裁や官僚の裁量ではなく議会で決まるものである以上は、短期間における大幅な歳出削減は政治的にも著しく困難である。その困難は、「事業仕分け」の際に、ノーベル賞学者やスポーツ選手たちが予算の削減に強く抗議し、またそのことに「事業仕分け」を支持する世論ですら同情的な態度を示したことにも象徴されている。菅首相小沢一郎も、「脱官僚による無駄削減で16.8兆捻出」が現実に不可能であることを理解してなかったはずはなく、政権を獲得すればどうにでもなると高を括っていたとしか言いようがない。

 そうである以上、民主党政権の問題は、そもそも「脱官僚による無駄削減で16.8兆捻出」などという非現実的なマニフェストが、メディア上の討論や選挙戦の中で淘汰されることなく、むしろ好意的な目をもって迎えられてきた、という事実のほうにある。これが好意的に迎えられてきたのは、要するに日本の政治経済の問題の根源をすべて「官僚支配」に求める言説が力を持ってきたためである。つまり、日本でここまで経済停滞や社会保障財政が深刻化している原因は、日本の政治では政策がほとんど官僚主導によって裁量・決定されていて、しかもそれが「天下り」などの「利権」「既得権」の維持・確保を動機とし、そのために不必要な経済規制や官僚・公務員の高額な給与水準をもたらし、国民の自由な経済活動を阻害して不況をより深刻化させていると同時に、赤字財政の深刻化を引き起こしているというものである。「バラマキ」と攻撃されている政策も、分配が増えるのだから税負担を要求することは経済学的にも否定されないはずだが、そうならなかったのは*2、官僚が途方もない税金の無駄遣いをしているに違いない、無駄遣いを根絶しないと増税に国民は納得できない、という官僚不信の言説が大きな力を持っていたためである*3

 だから民主党政権運営に失敗しているとしたら、こうした「官僚支配」の図式で日本の政治経済の問題を理解することが、根本的に間違っていたと総括される必要がある。もちろん、官僚組織に対する継続的な監視や批判は絶対に必要であり、税金の使途の透明性確保は不断に追及されなければならないし、官僚が手練手管で「省益」を守ろうとする醜い姿も一面の現実ではあるだろう。しかし、少なくとも官僚組織の問題が同時に日本社会の根本問題であるかのように短絡し、そうした解釈図式に基づいて政策論を組み立てることが誤りであるということは、この2年近くの民主党政権の姿によって「実証」されたと断言してよいと思う。

 しかし、民主党政権に対する批判は膨大にあるにも関わらず、不思議なことに政権迷走の最大要因である「脱官僚による無駄削減で16.8兆捻出」が間違っていた、という批判はほとんど聞かれない。日本で、景気や社会保障などのあらゆる問題の根本原因を官僚組織に求める言説が、政権交替を引き起こすまでに力を持ってしまった理由については正直よくわからないところが多いが*4、こうした言説の跋扈が今の政治的混迷の原因の一つであることは疑いようがない。震災以降の政策論議を見ても、昔ながらの「官僚支配」批判が亡霊のように徘徊していることに、正直うんざりした気分になる。

*1:「バラマキ」でも構わないじゃないかと言う人も一部におり、それに共感できる部分も正直ないわけではないが、負担と分配の関係に慎重に気を配らないと、分配の恩恵を直接受けてない層の不満によるバックラッシュが怒涛のように起こってしまい、最悪の形で緊縮財政論が力を得てしまうことは、今の民主党政権が証明していることである。「バラマキで何が悪い」と言いながら、実際の「バラマキ」批判への対応を現場の政治家や官僚に押し付けているとしたら、極めて無責任な議論としか言いようがない。

*2:正確に言えば、子ども手当は扶養控除の廃止によって事実上の増税を行っているのだが、なぜか民主党はそういうアピールを全くしていない。子ども手当は、高所得者にも分配されるのがおかしいと批判されるが、それなら所得制限よりも所得税の累進強化で対応するのが、行政手続きの煩雑さを回避する面でも好ましいし、「子育ての社会化」という理念を強化することにもなると思うのだが、そういう主張が全く見られないのが残念である。

*3:日本で社会保障費の財源が税よりも社会保険の比重が高くなっているのは、要は官僚・行政に対する「無駄遣い」の不信感が強いため、フリーハンドに遣われてしまう税よりも「負担した分が確実に返ってくる」社会保険を結果的に選好してきたためである。

*4:本当はこれについて考察しようと思ったのだが、説得力のある仮説が立てられず途中で挫折してしまった。