年長世代の「小さな政府」志向

 橋下大阪府知事にせよ「みんなの党」にせよ、近年支持が高い政治家や政党に共通しているのは、ラディカルな「小さな政府」路線であることである。「小さな政府」を掲げる政治家や政党がいること自体は、むしろ必要かつ重要なことだが、気になるのは彼らが支持されているのはそうした理念というよりも、族議員から官僚・公務員、労組にいたるまでの、「既得権益層」への歯切れよい批判・攻撃にある点である。

 そしてさらに気になるのは、どうも年金生活に入っているような、本質的にラディカルな改革を好まないはずの年長世代のほうが、こうした政治手法への支持がより高いらしいことである*1。年金・医療への関心の高さから言って、この世代が本当の意味での「小さな政府」を望んでいるとはとても思えないのだが、なぜそうなってしまうのかの理由について考えてみると、以下の二点を指摘できる気がする。

 一つには、よく悪くも、官僚が日本の近代化と経済成長を牽引してきたという経験を、それなりに強固に持っていることである。つまり、もともとの官僚の権威や指導力に対する期待値が高かった(という以上に空気のように当然のものと考えていた)ために、現状の官僚の腐敗や無力さに対する強い失望感につながっていると考えられる*2。この世代にとって、官僚は行政の専門家・テクノクラートと言う以前に「お上」であるので、官僚に対する批判が、「少ない給料と人員で懸命に働け」という道徳的な説教になりがちであり、そのことが結果的に「小さな政府」志向を生み出している。

 そしてもう一つは、政治的な疎外感である。旧来のような、地縁や利害関係団体を動員した政治手法の実効性が弱まっている一方で、それにかわる市民運動NPOなども日常生活に定着しているとは言えず、デモやストライキもかなり「珍しい」ものになってしまった。結果として、官僚や族議員のように「政治を勝手に決めている」(と新聞・テレビで報道されている)権力者に対するルサンチマンが蓄積されるようになっている。これは全世代に共通した問題だが、特に年長世代は、過去に故郷の農村、学生運動、会社共同体などで濃密な人間関係を築いていた経験があるので、定年退職後にそういうものを失っていることへの疎外感を、より強く抱きやすいと考えられる。よく言われるように、日本では「身内」の間では過剰な同調規範がある一方で、「身内」を超えた人間関係を築くことは往々にして不得手で、定年などで居場所を失うと、そのまま孤立化してしまう傾向がある。

 行政不信や政治的な疎外感の責任の一端は、第一義的には、これまでの政権与党(短い民主党政権を含む)や官僚組織のあり方そのものにあることは言うまでもない。問題は、日本における「小さな政府」の政治勢力が、こうした不信感や疎外感をさらに煽りたて、問題の全ての根源を「官僚の利権」や「税金の無駄遣い」に矮小化していることにある。そしてそうした矮小化が、自分たちの医療費や年金が低賃金に喘ぐ若い現役世代を圧迫しているなどとはなるべく考えたくもない*3、年長世代の(それ自体は非難できない)心情を代弁している可能性について、「小さな政府」論者はもう少し自覚的であるべきである。

*1:橋下知事2年、本紙意識調査 年長者に圧倒的支持 公務員には不人気」http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100202/lcl1002020830002-n1.htm

*2:実際、昔の官僚は潔癖で有能だったかのようなノスタルジーが、しばしば語られることがある。

*3:自分は必ずしもそのように考えるべきではないと思うが、そういう解説は一般的にあるし、多くの人も潜在的にそうした理解をもっている。